【大阪発】モチベーションを育てませんか?

「モチベーションを育てませんか?」をキーメッセージとして人材育成サービスと人事制度コンサルティングを提供しています!

MENU

人事部で専門性を磨く(私の履歴書ep8)

こんにちは。

モチベーションLAB所長です。

私の履歴書シリーズ第8話は、人事部の部長代理としての日々(前編)をご紹介します。



 

専門性を磨きたい

人事部に異動が決まった時、これまでのことを振り返ってみると、八尾第一営業所(2年)、物流企画課(5年)、アメリカ留学(1年)、人事部(1年)、営業企画部(2年)、秘書室(3年)と、なんと14年で6つの部署を経験していました。

一方、確かにいろんな部署を経験できたことは良かったけれど、専門性という観点では誇れるものは何もありません。

したがって、この先、人事部に何年在籍するかはわからないけど、ここで専門性をしっかり磨こうと決意したものでした。

 

 

人事部長との不協和音

さて、同じ時期に人事部長も交代となりました。新任の人事部長は、僕の前任の秘書室長で、大阪中央支店(支社に相当)の支店長からの異動でした。 

ただ、この方とは意見が合わずよく衝突しました。

この頃、ポジティブアクション(女性の活躍推進)やワークライフバランス施策を進めていかなければ企業としては時代遅れの烙印が押され優秀な人材は集まらないとされていたのですが、この方は女性社員の活躍推進はおろか、女性の採用拡大にも消極的でした。

人事部の若手メンバー4人が同じ日に年休を取ってゴルフに行った際には「同じ日にまとまって年休をとってどうする。しかもゴルフとは!」という発想をする人でした。

このことを所属長である私に指摘してきたので「年休の時季指定権の通常行使じゃないか。しかもこんなことする許容できなくてワークライフバランスが推進できるか?」と失望を禁じえませんでした。

 

 

CSR方針に背反している

ある日、人事チームで新卒採用の打ち合わせをしていた時、人事部長が会議室に入ってこられて「女性の採用はゼロでもいい」と発言されたこともありました。この時はさすがにメンバー全員は唖然とした顔をしていました。

当時の社外に向けた会社のCSR(Corporate Social Responsibility)レポートには、多様性の尊重に関してこのような記載がありましたから、人事部長たるMさんの発言は「会社として言行不一致だ」の指摘を受けても仕方がない重大事態です。

併せて、当時のインターネットにおける就職情報掲示板には、「近畿コカ・コーラボトリングは、女性の採用はしない会社」という情報が流れていることを知りました。 これはM部長だけの問題ではなく以前からの会社の採用方針がもたらした問題なのでしょう。

当時、人事チームのスタッフで女性のONさんには、ワークライフバランスポジティブアクションの社外勉強会に行かせたりもしていましたから、他社の具体的な考えや動きがわかる中で自社のこのような時代遅れの対応に大きな危機感を抱いていました。

この人事部長は人間的には悪い人ではないのですが、仕事に関しては戦略性に乏しく、自分の価値観と思い付きで判断し言葉に出す人でした。

 

 

Oさんがやってきた

しかし、人事部1年目の秋に僕に大きな味方ができました。

労働組合中央執行委員長のOさん(僕を組合役員に誘ってくれた尊敬する先輩です)が、この年の定期大会で委員長を退任されることとなり、会社に復帰後の職場は人事部と決まったのです。

委員長を退任してすぐに人事部とは、会社も大胆なことをするものだと驚いたものでした。

当時、人事部の機構は、人事、労務政策(労政)、福利厚生、人材育成の4つのチームがあり、僕が人事と人材育成を担当する部長代理でしたが、Oさんが人事と人材育成を担当し、これにより僕が労政担当に横滑りし、労政担当だったFさんは企業年金基金へ異動するという担当替えが行われました。

労政担当は労働組合との交渉窓口も兼ねることになるので、直前まで委員長だったOさんが担当するわけにもいきません。というわけで、僕が労政を担当することになったのですが、僕にとっては専門性を身に着けるいい機会になりました。

とにかく気心知れて尊敬するOさんが人事部に来られたことで、僕は一騎当千の味方を得た気分でした。

 

 

専門性を磨く

当初、人事・人材育成担当部長代理のポストを与えられたのは、秘書室を離れるときに社長から受けたミッションを遂行するためでしたが、新しい人事評価制度はすでに導入を終わり、人材育成への取り組みも人材育成業務に詳しいA君が後輩を指導してしっかりやってくれていることで後顧の憂いはありませんでした。

何より、Oさんが人事や人材育成の仕事を担当してくれるし、(なんといっても労組の委員長だったので)僕以上にワークライフバランスポジティブアクションにも精通している人なので、はるかに適任です。

そして僕は労政担当として、Oさんの助言を得ながら仕事ができるし、何よりも労働法や労働行政に詳しくなれることにポジティブな思いを抱いていました。

また、労働組合との交渉や調整が毎日あるわけでもないので、人事の仕事にも関わりながら仕事を進めた充実した日々でした。

 

 

女性の活躍推進を進めよ

時を前後して、人事部門管掌役員だったN常務が退任されたことで、一時的にM社長が人事部門を管掌することとなりました。

これまで社長が特定の部門を直接管掌するなどなかったことですが、退任されたN常務を除き人事業務に詳しい役員がおらず、またM社長は人事畑を長く経験されていたことで、一時期的にこのような体制となりました。

そこで、M社長と人事部門幹部(部長、O部長代理、そして僕)との会議を設けたわけですが、その席で社長から「女性社員の活躍機会の創造をもっと進めよ」との指示がありました。

Oさんと僕はアイコンタクトで「それ見たことか」と苦笑いしながら、部長がどんな返事をするのか注目していましたが、当の部長は「当然です。任せてください」と笑みを浮かべて大きく頷いています。

よくそんなことが恥ずかしげもなく言えたもんだと呆れましたが、とはいえ、真後ろからの追い風を受けて女性活躍施策を進めることになりました。

この少し後に、人事部長はOさんに交代(Oさんが昇任)するのですが、その直後の新卒採用では男女比を4:6くらいにしたり、それまでは数名しかいなかった女性営業職を大幅に増やすなど、いろんな改革に取り組みました。

 

 

溜飲を下げる

この頃のエピソードを一つ紹介します。

女性営業職を拡大すべく、O部長が営業本部と調整を続けていたころ、予想通りに営業部門から「営業に女は要らん」との声が上がりました。

結局は、O部長の粘り強い調整が功を奏し、当初の計画通りに進めることとなったのですが、O部長の頑張りの成果に加え、やはり「経営方針(社長の指示)」という印籠の力も大きかったように思います(笑)

 

さて、最初は拒否感が目立っていた営業部門でしたが、配属された女性たちが一所懸命に頑張った結果、彼女たちの営業成績が目立ち始めたことで少し空気が変わってきました。

そして、ある部門(中小規模のスーパーを担当する営業部門)では、その年の営業コンテストの表彰台(1~3位)を女性営業職が独占するという結果が生まれました。

あの時、「女なんか要らん」と言っていた支店長連中はどんな表情でこの結果を見ていたでしょうか。

まさしく溜飲を下げるとはこのことでした。

 

 

労働組合との関係

この頃の労働組合は、委員長がOさんの後任のIさん。副委員長がHさんとAさん。そして事務局長が僕と入社同期のKさんなどの体制でした。

いずれも、僕が中央委員として組合活動をしていたころからよく知っている皆さんです。

今や相対する立場とはなったものの、ワークライフバランス、時短、安全衛生など労働環境の整備という点では会社と労働組合とは方向性を共有していました。

何より互いに気心は知れているので、変な駆け引きはなく、また感情的な激論になることもなく、しっかりと実のある議論ができたことと思います。

 

 

満額回答

僕が労政担当になって初めての賞与の交渉の時、会社は要求に対し満額で回答するということがありました。

一方、僕は要求から1万円下げた金額で回答すべきという意見を持っていました。 それは、満額で回答すると「労使交渉なんて出来レース」とか「会社は組合に屈した」などと言う人がいたり、組合員からも「満額回答ということは会社に余裕があるということ。ならばもっと高い金額を要求できたのではないか」など穿った声を上げる人がいるからです。

しかし、事務折衝、団体交渉、少人数交渉など、たくさんの議論を重ねた結果、より良い労使関係の構築という点で今回は満額で回答することが好ましいと社長が決断したことで実現したものでした。 

 

そして、賞与交渉のクライマックス・回答団交(団体交渉)が始まりました。

4階秘書エリア内にある役員会議室には、会社側からの出席者として、社長、人事部長、私の3名。労働組合側は中央執行委員長のIさんをはじめ執行委員会のメンバーが全員がそろっています。

社長が回答文書を読み上げ始めると組合役員たちは食い入るように社長の顔を見つめています。そして最後に「組合からの要求通り○○万円を支給する」と社長が述べた時、執行部の皆さんが口々に「よっしゃ!」と叫んだ、あのシーンは今でも忘れていません。 

この時、労働組合の中には間違いなく充実感と達成感があり、「M社長の下で労使が一致団結して進んでいこう」という意識が高まったのではないかと思います。

 

後日、この結果に関する組合員の反応を聞きましたが、M社長の決断への感謝の声が圧倒的で、穿った意見は皆無だったとの報告に「やはりM社長の判断はすごかった」と感動が止まりませんでした。 

 

 というわけで、人事部では色々な仕事に関わったので日々新たにスキルが身につく感じがしてとても充実していました。 労働争議(裁判)や社員の不祥事による懲戒解雇事案など厄介なこともありましたが、総じては人事部での仕事はやりがいのあるものでした。

 

しかし、人事部で2年半が経過しようとしたとき、全社に衝撃の情報が流れました。

 

(つづく)